批判はいつから「悪口」になったか? by 小野ほりでい
2017年、今井絵理子参議院議員が都議選に向けて「批判なき政治」というスローガンを掲げた際、批判という言葉の中から「思想や見解、構想、システムに対する改善案」という建設的な側面が消えつつある事実が衆目のもとに晒されることになった。
ともかく批判という言葉の意味は少しずつ「非難、中傷、難癖、八つ当たりのクレーム」というようなネガティブなものに変化していったのだった。
誹謗中傷のようなひどいインスタンスから身を守ろうとした結果、建設的な批判に耳を傾けることもできなくなって、成長機会を失い続けてしまう。そんな話。ずっと無菌室で生活して免疫を失っていく、みたいなシチュエーションを思い起こす。 抑圧を受け、対立を避けて育った大人は「相手に要望を伝えずに」「しかも相手がその要望を察する」ことを求めるため、「我慢」してフラストレーションを蓄積したり、そのフラストレーションを別の形で表明することで関係を悪化させるのだ。
健全に対立して、健全に批判をして、周囲とともに成長していけるような、そんな日々を過ごしたいものである。
過度に対立を避けることで表層的な平穏を維持する態度を「コミュニケーション能力」と絡めて評してしまうと、なかなか厳しいことになると思っている。意見の対立がある相手とも対話を通じて協調できる人を「コミュニケーション能力が高い」とぼくは評したい。